色彩心理とは何だろう~紫編~

色彩心理とは何だろう~紫編~

紫色を選ぶ時は?

赤と青が混ざった紫。

赤色は交換神経を活発にし、青色は副交感神経
活発にする事は生理学的にも立証されています。

紫色を選ぶ時は「不安定な気持ち」「芸術的センス」
「自分のあり方・精神性を大事にする」

自己実現に向かっていく」「想像・空想をするのが好き」
などいろいろな意味があります。

今回はそんな紫について紹介します。

紫色のコーポレートカラー

「阪急阪神第一ホテルグループ」
常に品性のあるおもてなしを心掛け、
菫紫をコーポレートマークとして用いました。

日本では、古来より高い位の象徴として
尊ばれる紫色。

品格にあふれ、見る人の心に落ち着き
もたらします。

「キョーリン製薬ホールディングス株式会社」
オレンジは、誠実な温かさ、バイオレットは
信頼を生み出す技術、ライトグリーンは
延び延び活き活きとした創造性の豊かさを表します。

「藤井毛織株式会社」
ゴージャスでエレガント、繊細で高貴な印象
持った色です。高品質・高品位の製品イメージを
表現しています。

事業内容
カシミヤやシルクを中心とした高級獣毛繊維の
製造・販売

モーブ企画(モーブとは)
創業理念はフランス語でMAUVEゼニアオイ(銭葵)
という藤紫の花の色の事でこれは人類最初の合成染料
付けられた記念すべき色名です。

ギリシャの「柔らかくする」ところから出た言葉です。

アオイ科の持つ柔らかくする成分と情熱の赤よりも
落ち着いた藤紫色のハート型の花びら、

そして一つ一つの花は小さいけれども
順番に長い間咲き続ける姿から、
花言葉は子供を優しく見守る「母の愛」です。

現代社会は成熟した大人の国、社会へ脱皮する前の、
もがき苦しんでいる時期のように思えます。

成熟した社会においては、何かを新たに作るというよりも、
むしろ「染め直し」が必要ではないでしょうか?

価値ある既存のものを大切に、そのものが持つ
本来の本物の価値を活かし、

「柔らかく落ち着いた形・色」への再生です。

私たちはサービス業を通じ、価値ある本物
接し心豊かに生きる事が何より幸福であると

思える、次の時代への案内役になれたら、
と思っています。

その豊かさのすべての基本は親の子を思う愛、
特に母親の愛ではないでしょうか?

事業目的
レストランプランニング/webマーケティング

第7チャクラ 宇宙的な愛の力   記憶されているエネルギーと機能について

霊的存在とのつながり

第7チャクラは、霊的存在とのつながり
記憶していきます。

無条件の愛、叡智、スピリチュアル性、過去性、
前世の記憶を持っています。

無条件の愛とは、そこに存在する一つ一つすべてを
そのまま認める愛のエネルギーです。

第7チャクラにおける「愛」とは、
「無条件に誰かを愛し、その人のあるがままを認め、

そこに見返りを求めることがない」という「愛」
とは質が異なります。

ここでの「愛」は、特定の人、特定の者に対してではなく、
そこに存在するものそのままの状態で認める、
これが宇宙的な「愛」なのです。

宇宙的な愛は、深い自分への信頼周りへの信頼
あります。

自分と出会ってきた人、今出会っている人、
これから出会う人、経験したこと、経験すること
全ての中に意味を見出す事が出来ます。

それは自分を成長させるための意味であり、
また他人を成長させるための意味でもあります。

全ての調和の中には、自分も他人もそこにいる
意味があるのです。

だからこそこれから成長し、さらに自分を生かす
可能性を十分に秘めた今のありのままの自分を

認める事が出来るし、自分と同じように他人にも、
他のもの全てを認める事が出来るのです。

そこには自分を高める可能性はあっても、
競争がありません。

だから心の平安を得る事が出来るのです。

スピリチュアル性

第7チャクラはスピリチャル性をもたらし、
肉体、感情、精神、スピリチュアル的な統合
行います。

現世で行った行為、感情、思考、スピリチュアル性
などのお情報を魂の方へ伝達していきます。

これから体験すること、体験したこと、
感情や思考パターン、行動パターンを統合し、

スピリチュアル性をどれだけ開くかなどの決定を
行います。

叡智(えいち)

第7チャクラは、人類の進化するための知識を蓄え、
個人的な記憶全人類的な記憶とのつながりを持ち、

その領域へアクセスし、必要に応じて扉を開け、
情報を引き出してくる最初のゲートとなります。

必要に応じて、、というのは、大量の情報や
エネルギーが入り込むのを防ぎ、

必要に応じてエネルギー量をコントロールしていかないと、
頭の中や人生に混乱を引き起こしてしまいます。

沢山の情報を一度に扱えるようになるには、
チャクラの開放が行われていないといけません。

なぜなら、チャクラの開放が行われるのと
エネルギーの調整を行わないと、感情のバランス、
精神のバランスが取れなくなり、
肉体を弱める結果を招いてしまうからです。

過去世、前世

脳の情報と一致させ現世で過去世、前世カルマ
の解消を行うための記憶を保有しています。

現世でカルマの解消を行う時や思い出す
必要が出た時、前世や過去世の時の
記憶を引き出す事もあります。

第7チャクラによる調和の状態

宇宙との一体感

全ては一つであり、一つは全てあると
感じられるようになります。

一個人や孤独とした分離感がなくなり、
大きなエネルギーと繋がっている一体感
知る事が出来ます。

全ては最も適切なタイミングで起き、
展開されていると感じます。あるがままの自分
信頼でき、迷いがなくなります。

内なる自分とも言える深淵な所にいた自分が
呼び覚まされ、深い安らぎの中に満たされています。

本来の魂の目的へと自然に導かれていきます。

魂がすべてのエネルギー体と繋がっていた事に気づき、
自分に対して「ああ、、、これでいいんだよ」と、
もう一人の自分に言われているような感覚が、
心の奥底から溢れ、無条件の赦しに包まれます。

全ての人・事柄に「感謝の気持ちが向けられます。

これまでの人生経験が何故必要であったのかと、
大きな愛の懐ではじめから許されていたことに
気づきます。

全てが愛によって促され、全ての事柄や行為が
無意味でなかった事を知らさせます。

他人のせいにしたり、言い訳が出てこなくなります。

何をとっても深い感謝に変わってしまうのです。

これまでの嫌な事は、今日の幸せのために
合ったのだと、全てが有難いもの
思えてしまいます。

憎悪・哀愁・嫉妬・不安・恐れを抱いていた
自分にさえ愛おしさが生まれます。

まるで無垢な我が子を見守る母親の眼差しにも
似ています。

人に対しても、我が子を見る眼差し
向けられるでしょう。

喜怒哀楽を抵抗なく表現できるようになります。

自分を責めるでもなく、相手を責めるでもなく、
違和感なく受け入れる事が出来るようになります。

今ここに生かされている理由や何のために
存在しているのか、何の為に生まれてきたかと、
そのすべてが明らかにされます。

魂が宿る肉体と心を、献身のために使う事を知ります。

第7チャクラによる不調和の状態

エネルギー不足の状態とその理由

その理由は一言で述べると「恐怖」です。

「恐怖」とは、目に見える何かを怒る情動も
そうですが、ここでは「どうしよう」
「そうなってほしくない」と思い悩むことです。

今を生きていても、今を考えて生きていないのです。

過ぎてしまった出来事や心残りとした思いに
引きずられ、後悔や迷い、不満が付きまとい、
今を楽しめなくなります。

日常を通しての些細な事柄を始め、
ありとあらゆる恐れに頭が満たされてしまうため、
思考を忙しくしてしまいます。

そうなると塞ぎこんでしまいます。
これらの状態が慢性化してしまうと精神的・
心因的な疾患(鬱など)を招いてしまいます。

その為、睡眠薬と安定剤の処方が必要となるのです。

こうなってしまう原因は「今ここにいる自分」
ではなく、過去や未来の恐怖の中で生きてるからです。

「今を生きる」とは未来を考える必要がない事
だけでなく、今を楽しむという意味です。

過去(ついさっきの出来事)や未来に対し、
思い悩んでいては感動が半減してしまいます。

そして真に必要な事柄に気づけなくなります。

根本的な原因

内なる自分とのアンバランス、または、
分離によるものです。

自分の意見で生きていない人は、自分以外の
誰かの意見や世界観を優先させてしまい、
その周りからの干渉により第7チャクラは
不活性になります。

その為、自分の意見で生きてない事に気づく
機会を失い、分からないまま生きてしまうのです。

内なる自分との距離は開き、分離されてしまうのです。

そうなると、心の安楽や平安は遠ざかり、
自分の将来や物事の選択決定は鈍り、
自分の生き方の是非さえ判らなくなってしまいます。

人生の外的な要素の変化だけでは平安は
起こらないものです。

物質的に恵まれていても、不動の幸せは得られません。

お金で、今よりの安楽を得られるかもしれませんが、
いざ安堵感を得たなら、その暮らしに執着が始まり、
無くなる事を恐れ、維持することに追われてしまうでしょう。

形あるものには有無が付きまといます。

私たちは物質界に生きていますが、
物質社会から得る事の大半は執着への捕らわれです。

捕らわれの元凶とは、他者から始まります。

自分以外の目に映る全てのものからとも
言えます。

比較も善悪も地位・名誉・損得・優劣など
すべての有形な存在からの捕らわれなのです。

目に見えるものに捕らわれてしまうと、
それを追い求める為、苦しみ
付きまとってしまいます。

なぜなら、物質とは有形を元に有無を繰り返し、
止めどもない欲望を掻き立てられてしまいます。

外的(物質的)なものを追い求める(追求)事より、
内的(神聖的)な自分を探し求める(追求)事
不動の幸せ(平安)へと繋がる道と言えます。

人間の苦しみとは個人的意識の履き違い
とも言えます。

「自分は自分、他人は他人」とした無関心さが
もたらします。

人との隔たりを感じ、又、隔たりを意識して
しまう事が全ての困難・苦悩の原因に
なっているのです。

つまり、自分も他人も元は同じ一体とした存在
であり、自分の存在価値(受け入れ・赦し)
見出す極意とは、他者への尊敬意識を養い、
個々の人間の価値に気づくための命題とした
プロセスの一環になっているのです。

社会的な成功を目的に生まれてきたのではなく、
一体とした存在に気づく事を目的に生かされている
という事なのです。

魂の目的(自分とした生き方)を見出せた時、
社会においての成功は、あとからついてくるのです。

この物質社会からの捕らわれとは、二人の自分との
葛藤を舞台に集結をもたらす貴重な世界なのかもしれません。

人生全般からみた「苦あれば楽」の、
楽を得る時期とは常日頃、今の自分に対し、
ギャップや疑問を感じているもう一人の自分に
歩み寄れるかどうかにかかっています。

内なる自分とは、神聖な声だと言えます。

第7チャクラを通したメッセージとは、
神聖な目覚めへのアプローチともいえるのです。

内なる自分の受け入れとした、自分への信頼(自信)
とは「特別な存在でありたい」または「特別な人間」
だと思い、他人を軽視してしまうようなものではなく、
神聖さを知るための分岐点(スイッチ)としたものです。

命のすべてが神聖なエネルギーの存在なのです。

まとめ

エネルギー

第1チャクラが大地からのエネルギーを
取り入れているのに対して、登頂の第7チャクラは、
無意識に宇宙、天上界からのエネルギー
受け入れているのです。

ただし、物質界にいる私たちは、
目に見えるものに振り回され、宇宙エネルギーに
対してそうだと思えない人がいるのも事実です。

宇宙と人間

地球は惑星の中の一つであり、宇宙の中に
存在しているものと見る事が出来ます。

人間と宇宙を別の見方で捉えると、
時間と空間です。

時間は24時間で区切られている為制限があり、
空間(空気)は仕切る事が出来ない為、
制約はないとみなすことが出来ます。

また、人間は物体(個体)・有ならば、
宇宙は気体・無と見る事が出来ます。

宇宙を大宇宙(マクロコスモス)と見るならば、
人間は大宇宙の中の小宇宙(ミクロコスモス)なのです。

人間を含めた物体は、宇宙の物質から出来ている為、
個々から言える事は全ては繋がっていて、
一体であるという裏付けになるのです。

叡智の扉

真理(深遠な道理)への目覚めとは、
苦楽や困難な経験をなくして得られないものです。

なぜならその苦悩の意味を知る事が「真理(神聖)」
だからです。

困難と苦悩を受け入れ、乗り越える才知(才能と智慧)は、
第7チャクラからのエネルギーがもたらします。

それが、「叡智の扉」を開く鍵だからです。

その鍵とは、先の人生に偉大なエネルギーの流れ
引き寄せる世界への扉の鍵です。

これまでに気づかなかった事柄やその意味を
教えてくれる世界と言えます。

眩しい光に導かれ、目指して先へ進むに連れ、
真っ黒な雲が徐々に薄らいでいく感覚の世界です。

日常における全ての出来事が「自分に必要だった」
と心から思えるようになります。

それほどまでに、叡智や心の平安をもたらして
くれます。

誰でも、物心ついたころから内なる自分と対話(葛藤)
始めているものです。

しかし、現実の自分と本心との距離感を感じていても
歩み寄る事は避けてしまうものです。

なぜなら、社会側の概念では許されない思いであり、
批判や中傷・罵声を浴びせられる恐れ確信が
持てないからです。

環境や生い立ちから、そう思ってしまう人もいるでしょう。

しかし、内なるもう一人の自分は魂の道先案内人でもあり、
反発・葛藤・自問自答をくり返し戸惑いながらも紆余曲折
して人生を送る事に意味があるのです。

困難や苦悩とは誰でもが味わうものです。

二元論ともいえる、二人の自分(概念と本心)の正体とは、
社会によって形成された自分(心)と、神聖な世界観
自分(魂)との対極を表しています。

語りかける自分が居なくては、成長や学びは得られません。

疑問がなく始めから「これでいいんだ!」
と思えてしまったら、自分を創造していくことは
できなくなってしまいます。

決められたルールを歩くものです。

創造とは生まれてきた定義なのです。

私たちは、みんな、神聖な存在ですので、
必ず叡智と言えるエネルギーを受け取っています。

ただ、気が付かない・気付けない・気付こうと
受け入れようとしていないだけなのです。

誰もが内に答えを持っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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