昔の友人の死

昔の友人の死に直面しました。友人はイラストレーターで、大学時代の親友でした。よく一緒に飲みに行ったり、踊りに行ったりしました。外国人と交流したり、楽しい事ばかりでした。友人は卒業制作をデザイン事務所に気に入られ、イラストレーターとしてデビューしたのでした。

私はまだ学生だったのですが、友人は一足早く社会に出て活躍し始めました。ラフォーレ原宿でライブペインティングなんかもしていました。アフリカが大好きで、レゲエが大好きで黒人ばかり描いていました。

アフリカ好きがどんどん進んでいき、友人はアフリカのマリ王国の方と結婚しました。二人の子供ももうけ、幸せに暮らしていました。そんな友人を突然病魔が襲ったのです。乳がんでした。

電話で「私、がんなんだ」と話された時はなんと答えたらいいかわかりませんでした。友人はまだ30歳でした。それから友人の闘病生活が始まりました。がんはステージ4で末期でした。抗がん剤を打って髪の毛もすべて抜け落ちてしまいました。

しかし、本来明るい性格の友人はいっそのこと丸坊主にしてしまえと思い、丸坊主になりました。旦那さんもスキンヘッドだったので、二人で仲良く写真を撮ったりしていました。しかし、旦那さんの突然の裏切り。「別れたい」と言い出したのです。

通常なら旦那さんがフォローするのが当然ですが、そこはやはり外国人。感覚が少し違うのかもしれません。さっぱりしている友人は潔く離婚しました。そして友人は生活保護を受けることになったのです。

このころからでしょうか?友人は宗教にはまっていきました。心の支えが欲しかったのでしょう。私は何となくそれについていけなくて、友人とは疎遠になっていきました。キリスト教でしたが、私はついていけませんでした。

二人の子供を抱え、生活保護でキリスト教にはまった友人は幸せそうでした。乳がんも乳房摘出し、一旦落ち着きました。しかし、再発したら命はないとのことでした。

友人と疎遠になって数年が経ちました。突然共通の友人からメールが届き、「彼女が亡くなった」と。私は眩暈がしました。友人と疎遠にならなかったらよかったと。もっと話をしていたらよかったと。友人は亡くなる前には神学校に行こうとしていたみたいです。本気でキリスト教の牧師になろうと思っていたようです。

なぜ亡くなったかというと、がんが再発したらしいのです。最後のほうは杖をつかないと歩けないようになっていたらしく、それでも教会に足を運んでみたいなのです。そんな話をお葬式で聞きました。

お葬式に行ったら、友人が読んだ聖書のCDを渡されました。また、お葬式会場にはキリスト教の教えに沿って描かれた友人の絵が飾られていました。友人は自宅で強い眩暈を感じ、自分で救急車を呼んだそうです。病院では危篤となり、実家仙台にいるお母さまに電話でつながってお話をしたようで、その後、満足して亡くなったそうです。

最初の時はまだお子さんが小さく「今は死ねない」と言っていた友人ですが、再発時にはお子さんもだいぶ大きくなっており、また前の旦那さんが戻ってきてこれからのお子さんの面倒を見るそうです。

友人は本も出していました。キリスト教会から出版したらしく、「乳がんだって生きていく私」という漫画を出していました。友人も生きていた証が欲しかったのでしょうか?私はすぐに購入しました。

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疎遠になっていた時間が長かったので、なんとなく臨場感はありませんでしたが、もう友人とは連絡できないんだなと感じました。一緒にご飯食べたり、遊びに行ったりもできないんだなと思うと物凄く寂しかったです。大切な友達は大切にしようと思いました。お葬式では、涙が止まりませんでした。

ゆみちゃん、また一緒にレゲエバーに行こうよ。

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